2010年05月11日

戦国百人一首会発足

これ、なかなかのものである

皐月薫る某日、有言実行検定初段のワタクシがオフィスとしている某部屋にて、第一回大会が華々しく開催された
参加は全4名
ルールは所謂百人一首の『坊主めくり』であるが、ロマン溢れる戦国ヒーロー&ヒロインがわんさと登場するので俄然盛り上がる

例えば、こうだ

真田昌幸『半分は 残す知略の 十二文』


続いて本多忠勝
更に小松姫
最後に真田信幸

本多忠勝の娘小松は、真田昌幸の長男信幸に嫁ぐのだが、かの関ヶ原の合戦で、昌幸と次男幸村は
西軍(石田三成方)に、長男信幸は東軍(徳川方)につく(犬伏の別れ)
どちらが勝っても「真田」の名前が残ると云う極めて冷静な外交術である
居城・上田城に籠城した昌幸・幸村父子は、徳川秀忠軍3万8千を堂々と足止めし、関ヶ原の合戦に間に合わなくさせることに成功する(第二次上田合戦)のだが、本戦で西軍が敗れたために昌幸・幸村父子は処刑の運びとなるのだが、信幸と義父本多忠勝の必死の嘆願によって助命され、結果、我が紀州は九度山へ蟄居なるのである
また、沼田条にて信幸の留守を預かっていた小松姫の所へ昌幸が現れ、「孫の顔が見たい」と入城を願うが、『今は敵味方に別れているもの。城に入るならワタクシと子を殺してからにしなさい』と凄んだ小松姫のエピソードは有名であるが、蟄居した九度山へ仕送りをしていた気配り姫でもある

今年は九度山で昌幸が没してちょうど400年
九度山の真田庵では、このGWに昌幸没後400年の記念碑の除幕式が開催された



そんな悲喜交々至った本大会
終了時には主催者であるワタクシの手元にカードが1枚しか残っていなかったのであるが、これは何かの手違いであろうと思われる  


Posted by 川畑哲哉 Kawabata Tetsuya at 23:58Comments(3)雑記