2010年08月15日

夏。

2007年08月24日の手記より


  

フィリピン、ルソン島はバターン半島にあるサマット山
かの地で戦死した祖父たち日本人戦没者を慰霊する為に、108メートルもの大きな十字架がサマット山の頂上に建てられている

妻のお腹に自分の子を宿したまま、国のため家族のため異国の土となった祖父
自分の父の顔を知らぬまま、その歴史も知らぬまま、生まれ育った父

何の塩梅か、天使の悪戯か、マニラ行きの直行便・フィリピン航空のチケットが取れた
2泊3日の旅である
何の事前準備もできないまま、とにかく飛行機に乗った


マニラから車で走ること約3時間
目の前に聳える十字架には何とも雰囲気があった
エレベーターで展望室まで上がると、バターン半島が一望できた
1942年には、ここで日本軍とアメリカ・フィリピン連合軍とが死闘を繰り広げたのだ

その麓にある記念館の祭壇で、祖父始め諸先輩方の霊に祈りを捧げ、決意を誓う
さて、僕にできることは何かしら

さらに走ること20分
モンテマール・ビーチである
祖父が最期に見た景色はきっとここではなかったか
とてもロマンティックなビーチである
クラッシュ・マンゴージュースはとてつもなく美味
またゆっくりと来よう

そんな2007年の誕生月
ようやく30歳
皆様ありがとう
  


Posted by 川畑哲哉 Kawabata Tetsuya at 12:13Comments(2)アート・レビュー

2010年08月15日

8月15日。

終戦の日

各地で戦没者追悼式が営まれている

遺族代表による献文が読まれる


妻と幼い子ども3人を残し、戦地で結核を患い、帰国するも看病の甲斐なく父は戦病死
それから、子どもたちを育てるために母は歯を食いしばって朝早くから畑地へ行き、長男である自分は弟2人の世話をし必死に新聞配達をした
肩身狭い思いをしながら地縁血縁にお頼りして懸命に働く母の、唯一の楽しみは子ども3人の成長であったとか

そんな母に感謝し、そんな家に生まれたことを誇りに思う、と締め括られた

そんな母に感謝し、そんな家に生まれたことを誇りに思う

そんな母に感謝し、そんな家に生まれたことを誇りに思う


感謝と誇り

何と美しい言葉ではないか
偉大な先人たちのお陰で現代がある

3年前、戦没した祖父を追悼するべく訪れたフィリピンを思い出した
  


Posted by 川畑哲哉 Kawabata Tetsuya at 12:00Comments(0)雑記